携帯にはまだ手を触れない このエントリーを含むはてなブックマーク

携帯電話を持っていない。なぜならば、必要性を感じないからだ。普及率100%を超える国もあるし、この日本も相当高いポイントをはじき出しているに違いないが、未だに僕のように必要のない人間もいることも確かだ。そのうち、買うはめになるだろうが、できる限り持たないように、と考えている。

もちろん、欲しいと思ったこともある。電池さえ生きていれば、どこでも連絡が取れるしちょっとしたメモ帳代わりにもなる。地図を見る事が出来れば、カメラにもなり、音楽プレーヤーにもなる。挙句の果てに、テレビまで視聴できる。便利な機械だ。もしかしたら、友人との関係を深める事もできるかもしれない。

しかし、便利だからこそ、その小さな塊が怖くてならないのだ。不必要な情報を、よっこらしょと運んでくるし、その情報を咀嚼するあまり、時間を浪費してしまう。携帯依存症なんて言葉もある。どれだけ時間を捨てれば気がすむのか全く理解できない。

もちろん、有効に活用すれば素晴らしい歓迎されるべき機械だということは誰もが肯定するだろう。善があれば悪がある、なんて言葉を使うのは好ましくはないが、加減をする事が必要だということは了解頂けると思う。

僕なりの「加減」という問いに対しては、いまのところ「持たない」という言葉が解になる。いつか、手に握り締める日には、僕は僕の日々を有意義に過ごせるかどうかはまだ推測できない。

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考える時間も必要だけど…… このエントリーを含むはてなブックマーク

お風呂に入ると、ついいろいろと考え事をしてまって、15分であがってやるぞ、と意気込んでも結局30分、下手したら45分かかってしまいます。そのときは無論、全く頭にはありませんが、気がつくとシャンプーを2回していたり、体を洗い忘れた、なんてこともしばしば。

風呂では考え事をしてはいけません。2回もシャンプーしてしまいますよ(笑)。30分あったら何ができるか? 本を20ページは軽く読めます、ブログで記事を1つ書くことができます、30分多く寝られます、筋トレ・ストレッチが出来ます。

お風呂場で考え事をすれば、机の前に座ってもつい考え事をしてしまいます。気づけば時計の針は180度、あえて言い換えればパイラジアンも回っていたりして、やらなければならないことがあるのに筆は一向に進まない。

たぶん、音楽をかけるのがいけないんでしょうね。つい歌ってしまうからなあ。30分は1日の48分の1。もうすこし、有効に使わないとな。もちろん有意義な考え事なら歓迎しますが。

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考える時間がほしいのかもしれない このエントリーを含むはてなブックマーク

バスに乗るときはいつも後から3つ目の左側の窓際の席に座るのが習慣となっている。理由は簡単、一番明るいから。バスは読書をする場所だと勝手ながら決めつけて、本の扉をゆっくりと開く。

いつもは本を開き10ページくらい読むのが常だが、昨日は変に顔を上げて、周りのお客さんを見回していた。15分も車内の何もない空っぽの空間に視線を投げて揺られているその姿を見れば、とても不思議に思えてならなかった。本を読めば時間を有効に使えるではないかと勝手な思考をめぐらせた。

そんな自分も今日は何もない空っぽの空間に視線を投げて揺られてみた。分かる気がする。昨日までは否定的だった、ぼうっとする行為も今日はなんか魅力的に感じた。

バスに座る人々は何を考えているのだろう?いや、何も考えていないのかな。考える時間もないし時間が進むのが早い生活の中で15分という時間も短いようで長い貴重な時間だと誰もが悟っているのだろうか。僕は心のどっかでたった15分でもいいから、何でもいいから考える時間を作りたいのかもしれない。

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ありがとうという言葉は便利だが このエントリーを含むはてなブックマーク

ありがとうという言葉は、感謝の意を示すのに使われるとても便利な文字列だ。何かをしてもらってありがとう、何かをもらってありがとう、誰もが一度口に出せばその場は和む。それはたしかに間違いではないと思うが、あまりにも簡単に口に出せるから、それが心のそこから出た言葉なのか、反射的に出たかは聞いてる本人にはわからない。

昔こんな人がいた。話が一段落してその場を離れるときに、必ずといっていいほど頑張ってねという一言をおいて去っていく人。別にその人が嫌いだったわけではなく、むしろ好感を持っていたくらいだ。すでにその時にはありがとうが感謝の意ではなくて挨拶の一部になっていた。そばで聞いていて、ああ、と気づいたが、その言葉が自分に振りかけられても別にいやな気分はしなかった。むしろ、励まされた。

言葉は不思議だ。言語があって、人はお互いに意志の疎通が出来て、お互いに励ましあって、お互いに傷つけあう。このサバイバルな感じが僕は好きだ。正に働けば、負にも働く。常にシーソーに揺られるように、上下しているのだと思う。しかし僕は決して語彙があるわけでもないし、人を幸福にさせる、気の利いた言葉を発することもできない。ただ、佇んでいるだけの、はにわ、かもしれないし、もしかしたら、自分の知らない世界では話に辛味を付加するスパイスになっているのかもしれない。

いまだにありがとうという言葉すら、なんか恥ずかしくなって言えないこともある。今すぐにでもありがとう、の言える機械になれたらどんなに幸せだろうか。だけどおべっかばかり使う人間も好きになれない。

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